『ミッドナイトスワン』感想

ミッドナイトスワンを見てきました。

完全に草彅剛さんの役どころ・ビジュアルに惹かれて行ったミーハー女です

しかしエンドロールが終わったあと真っ先に感じたのは「これを美しい物語にすんなよ?!?!?!?!!?!?!!?!?!!?!!」という半ばキレ散らかした感情でした(情緒不安定)

 

なのでこの映画が滅茶苦茶よかった!!!感動した!!!って人はこの感想を読むのはおすすめしません。ほぼほぼ私怨の篭った愚痴みたいなものをつらつら書いてます

 

注意しましたからね?!?!?

注意しましたからね!?!?!?

以下よりネタバレありの感想です。

 

 

 

 

 

まず初めに断っておくと、LGBTについては私ずぶの素人で知識不足のためそんなに言及できません。なので何か誤りがあった際は教えていただけると助かります。よろしくお願いします。

それから、私は監督さんのインタビューなどの発言を全くサーチしていません。Twitterは少し覗いてしまいましたが、まあほとんど映画を見たのみの感想だと思ってください。

 

言及できません、とは言ったものの、ひとつだけ。

凪沙はトランスジェンダーという設定なわけですが、そういう設定のキャラクターが、ああいう結末を迎えるのってどうなんでしょうっていうのが引っかかっているというか、不思議に感じています

LGBTという存在は「いる」ということを聞くのですが、「いる」のであればああいう風に悲劇的に描く必要があったのか、というのが疑問に思っています。

別に「悲しい存在」ではなくて「ただそうであるだけ」という風な認識を持っているのですが、これは私が詳しい事情や現実を知らないだけかもしれませんし、あんまり強くは言えないと思っているんですが、わざわざあんなに劇的に描く必要あったのかなー…というのはぼんやり思いました。

もちろん凪沙のような苦しい思いをされている方もいるとは思いますし…でもかといってあの破滅的な終わりにする必要はどこにあるんでしょうか…?

 

凪沙が面接に行くシーンで「LGBT、流行ってますよね」というおじさんのセリフがありました。

あの物語を見たLGBTじゃない人たちが涙を流すのって、なんだかそのおじさんとやっていることは同じなんじゃないかと感じてしまって、どうなんだろうと疑問に感じてしまいました。

 

LGBTに関わるところは以上です。

私がきっついなーと思ったのは毒親展覧会みたいな、そういう…

 

一果の数少ないセリフの中で印象に残っているのが「頼んでない」っていうセリフなんですけど、マジで作中だいたいこれオブ・ザ・イヤーすぎて泣けなかったんですよね

 

まず序盤で一果の実の母親が「誰のために働いてやってんの!!」って怒っているシーンがありますがあれだって一果からしたら知ったこっちゃないんですよ、だって生んだのは母親ですからね

しかも散々怒った後に「ごめんねえ」っていってしおらしくするのはずるいじゃないですか。

邪見にされるのに、愛しているようなそぶりも見せられる。どっちだよ!!って、信用できなくなって誰にも心を開かなくなるのは当然じゃないですか

 

まあもしかしたら一果の母親は望まない妊娠だったのかもしれません。もしそうだとしたら彼女も可哀想だなと思いはするんですけどでも子供にとったらそんなこと知ったこっちゃないんですよ本当に。生まれただけですから

頼んでもないのに産んで、「あんたのために!!」って言われたって、「だからなんだよ」って思いませんか。でも子供だから一人では生きていけない。だから親を頼るしかない。雁字搦めです。

 

この一果を取り巻く「あんたのために」はほかにもあります。

それは一果を育てることに喜びを見出した凪沙が、一果のために職を探して、最終的に女の姿を捨てて男の姿に戻ったシーンです。

凪沙はかつて、一果の前で「なんで女じゃないんだ、なんで私だけ」と言いながら号泣していました。そんな一果の「ために」、凪沙は泣くほど嫌だった男の姿で働き始めるのです。

これ一果の立場だったら嫌過ぎませんか?あんなに身も世もなく泣くほど辛いことを、自分のためにやらせてしまうって辛すぎません!!?!?!?!!私だったら罪悪感でしにたくなっちまうわ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!絶対に嫌だ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!なんで自分のために気を許せるな~と思えてきた大事な人を犠牲にさせなきゃいけないんですか???!?!?!?!嫌過ぎません?!??!?!?!!!!!!!!!!!!

しかも「一果のために」っていう精神なのがしんどすぎる一果のためにじゃなくて「そうしたい自分のために」の間違いじゃないのか…(ひねくれすぎ)

エゴすぎ~~~~~!!!!!!!!!!!

 

そしてその後一果の母親になるために身体も女になって一果を迎えに行く凪沙…これもなんか…一果と話したか?????っていう…対話がないなか勝手に行動して思い通りに行かなくて自暴自棄になって挙句の果てには15~6の子どもの前で死ぬんですからなんか…せっかく努力と才能でこれから羽ばたこうとしている一果にそんな重いものを背負わせるなよ…みたいな…ちゃんと話し合って…頼むから…

 

あとこのくだりに関して、凪沙が迎えに来たとき一果は凪沙と一緒に行きたかったのかもしれないけど、結局実の母親のもとに居て、そしてなんだかんだ中学卒業のころには笑顔になってたじゃないですか…何が…あった…?!?!?!?!?!母親…?!?!!?!?!何があった…!?!?!?!?そこ描いて…

心を入れ替えたって言えば聞こえがいいですけどあの母親が本当に心を入れ替えられたのか不安でしょうがない…だって凪沙が迎えに来た時の母親の態度って冒頭の母親の態度と似てませんでした…?それなのになんで一果は母親と並んで笑えるようになっているんだ…何がどうなってそうなったんだ…っていう…

 

なんかその辺が曖昧なままなので、結局「子供は実の母親と一緒にいるのが一番良い」みたいなそういうことを言われているような感じがして私は非常にモヤァ…ってなってしまったんですけど…ええ…その辺思う人いないのかな…なんでよ!!!!実の親子じゃない人間同士が「家族」になる話じゃないのかよォ!!!そういう希望を感じる物語じゃないのかよォ!!!(勝手に期待して落ち込むの図)

 

あとりんちゃんのお家も地獄でしたね

あの母親もまた「りんちゃんのために」とか言いながらりんちゃんを縛っていた口でしょうね…

しかもあの子のお家はなまじお金があって裕福だから一見幸せそうに見えるのがさらに辛いですね。周りはきっとりんちゃんの孤独に気づけないでしょうよ…

だからりんちゃんの最期にもまあ納得はいくんですけど、物語の中であれ必要だったか?という疑問はあります。その後そんなに回収がなかった気がするんですが…

それいうと一果とりんちゃんの関係自体がちょっと描かれてなさ過ぎてなんかこっちはこっちで映画一本必要だったんじゃ…っていう感じがしました。テーマがとっ散らかってる感(?)

 

ハァハァハァ………………

 

そしてここまで書いてきたことを含めて、映画全体を通してこの物語が「美しいもの」として描かれていて(あるいは美しいと感じされるように描かれている)、これを見た観客が「なんてすばらしいんだ!!」といって涙を流しているという構図がしんどすぎるというのが正直な感想です。

 

私はこの物語全然美しくないと思うし泣ける物語ではないと思う…

 

いや美しいで終わらせるなよ?!?!?!??!っていう…圧倒的に対話が足りねえし対話をする気もなさそうで勝手に悲劇に突っ走ってしまう姿が美しいのか…?それで感傷に浸っていてなにが楽しいの…?という…なんか…ああ~~~うまく言葉にできないんじゃ~~…

 

凪沙も一果の実母も、一果に対してやってることは実は変わらないんですよ。凪沙のしたことは「あなたのためにやってるんだ」というエゴの押し付けであって一果の実母と全く変わらないんです。それなのにそれを「性別を超えた愛」だの「母性」だの美しい言葉で飾り立てて涙を流している人たちが大勢いるというのが非常にしんどい…絶望すら感じる(口が悪いよ!!)

 

とりあえず思ってること吐き出せてすっきりしました…不快に思った方いたらすいません…あくまで私の一感想に過ぎないので…皆さんの感じた感想をそれぞれ大切に抱いていてください本当に…

以上です。読んでくださった方ありがとうございました。